はじめまして、もたはんです。
田舎の呉服屋が普段着着物を扱うようになった理由は??
はじめまして、もたはんです。
福井県にある「きもの もたはん」4代目の酒井康輔です!
ネットショップを訪れて頂きありがとうございます。
初めてなので
なぜ今もたはんが普段着の着物を扱っているのか
少し長いですがお話させて下さい。
まず「もたはん」というのは屋号で
今お店のある場所は周りが田んぼだらけの
「村」でした。
本物の「田舎」だったので
一軒一軒に屋号があり
当店の初代・酒井茂太郎(もたろう)にちなんで
「もたはん」と呼ばれていました。
でも、実はお店の名前が変わったのは最近の話で
それまでは「さか井呉服店」でした。
2015年11月15日に改装したのをきっかけに
「きもの もたはん」に店名を変更しました。
じゃあ、なぜ変えたのかというと
ず〜っと耳から離れない1本の電話がきっかけです。
お店のマスコットキャラクターの「もたはんさん」
最近似ていると言われています(笑)
「もたはんけ〜の〜?」
僕は大学を出たあと
全国に展開している呉服屋で働いたのち
福井の実家に戻ってきたわけですが
戻ってきて早々こんな電話がありました。
お客様「もたはんけ〜の〜?」
これは、なんとなくお分かりかもしれませんが
福井弁で「もたはんですか?」と言っています(笑)
年配のお客さんで肌着か何かの注文だったのですが
久しぶりのドがつく福井弁で
うちの古い屋号を大きな声で呼ばれたもので
とても衝撃的でした。
直感的に
「もたはん」という響きがいいなと思いました。
と、同時にこの名前をいつか店の名前にしたいと
思い描いたのを覚えています。
それが25歳の冬頃。
それから4年ほどして
お店の老朽化に伴う改装のタイミングで
「もたはん」に店名を変更しました。
改装前のお店はこれぐらいの広さ。とてもこぢんまりとしたお店でした。
呉服屋を15年やってみて。
大学を出てからもたはんに戻るまでの3年間は
何を隠そう某大手チェーンの「呉服屋」で働いていました。
もしかしたら「修行」と思われるかもしれませんが「修行」というよりは着物業界の「偵察」でした。
どの業界よりも謎の多い業界は
「着物業界」だと今でも思っています(笑)
その偵察の結果として
実家を都合と思ったのは
純粋に「楽しそう」だと思ったから。
それが2009年のことですから
この業界に入って15年が経とうとしています。
外の呉服屋での3年で
着物が生んでくれる人のつながりの面白さと
着物を着たいという人がまだまだ沢山いるということ学びました。
そして、戻ってからの7年で
その人のつながりが生む可能性と
着物に対する愛着が生まれました。
(愛着が生まれるのが遅くてすみませんw)
愛着が湧きすぎて11月15日の「着物の日」にはショーウィンドウに立ってみたことも…
ただ、現実問題として
商売をやっていたら当たり前の事ですが
自分が好きで仕入れてきたものも
お客様に買ってもらって
着てもらうまでは日の目を見ません。
着物は着てもらって初めて着物です。
より多くの人の目に触れさせてあげるには
ネットは不可欠だろうなとずっと感じていました。
それともう一つ。
やはり物を仕入れるからには
仕入れ手となる自分達が
「売りたい」「欲しい」という物がいい。
ただこのたったの7年間の間で
市場から恐ろしいスピードでものがなくなっています。
去年まで作れた物が
今年は作れないなんてよくある話。
危機感しかありません。
結果として売りやすいものだけが残り
僕たちが「売りたい」「欲しい」というものも失われています。
これは作るしかないぞと思い始めました。
地元のレース工場さんとの出会い。
そんな時、2017年にひとつの出会いがありました。
近所のレース工場の奥様から突然SNSで友達申請がきたのです。
「これは!」と思いました。
ちょうどレースの着物の認知度が上がり
興味があったので
すぐ工場にお邪魔させてもらいました!
話をしてみると、なんとその工場の生地で
すでに着物が作られているということ!
しかも僕が元いた会社のレース着物でした。
すごいご縁でした。
ご縁しか感じず
オリジナルのレースの着物が作りたい!
というお話をしました。
が、作るのに必要な最低ロットは
うん千メートル!
うち一件ではどうにもならない量で諦めざるを得ませんでした。
しかし、こういう工場が
福井にあるという事を知れたという意味では
とてもいい出会いでした。
いつかまた…。
でも、そんな事があってから
10ヶ月もしないうちに奇跡がおきます。
ふだん着物のtontonさん
2018年7月28日。
翌日の地元の花火大会が中止となった日。
あるご夫婦がお店にやってきました。
そのご夫婦というのが
お隣石川県小松市でパン工場を営むtontonさんご夫婦。
実はこのお二人
特に着物業界では有名人でして
パン屋なのに着物の事をめちゃめちゃ発信している二人なのです!
旦那さんがパン職人で「アレルギー対応パンのtonton」という
卵・牛乳アレルギーの子でも安心して食べられる
パンのお店をお隣り石川県の小松市でしています。
続いてお二人で発信しているYouTubeチャンネル
毎日着物を着て、ほぼ毎日更新して
普段着の着物を着る人に寄り添った
分かりやすいYouTubeチャンネルです。
正直着物業界にとって
耳の痛い話もバンバン飛び交っているので
心臓の弱い業界の方は見ない方がいいかも。
お会いしたことはありませんでしたが
そんな二人が突然お店に来たので正直焦りました。
「なぜうちに?」
でもすぐ打ち解けて2時間ぐらいしゃべっていました。
そして、後日こんな連絡がありました。
「一緒にレースの着物を作りませんか?」
先ほどお話した通り。
ほんの10ヶ月ほど前に
そんな話をしていたところ!
出会って早々そんな話になるなんて
夢にも思いませんでした。
改めてtontonさんのYouTubeを見て
二人の着物に対する思いや
レースの着物に対する熱量に感動させられました。
一緒にレースの着物を作りたい!!!
チーム北陸で挑む「レースの着物プロジェクト」
もたはんが福井県。
tontonさんが石川県ときたら
やはり富山県が必要です。
福井、石川、富山の3つの県を総称して
「北陸」と言います。
その北陸の富山県で協力して頂けたのが
レースメーカーの「テリーナ」さん。
tontonさんがレースメーカーさんを探し回って
ようやく辿りついた会社さん。
奥様が普段に着物を着る方で
着物にも理解があり
レースのデザインもされるお方でした。
こちらでもたはん初となる
オリジナルのレース生地を織ってもらいました。
思考錯誤の末に完成!
何度かサンプルを織ってもらううちに
最初はこちらの要望をお伝えする事が多かったのですが、テリーナさんからも「着物にするならもっと…」と自ら改良を申し出て頂くなどして、ようやく生地が完成!
エンブロイダリーレースは
生地に刺繍を施していく刺繍レース。
20mほどの生地が刺繍される様は圧巻でした。
ここから、レースの染色、縫製を経て
完成に至る訳ですが、「縫製」に落とし穴がありました。
レース着物の縫製は大変!
当初の思いとしては
洋服用に使われる幅広の生地のため
洋服の縫製工場で作ろうという思いでした。
これには二つ理由があって
それは「コスト(縫製代)」と「スピード」です。
実は縫製代は和裁よりも洋裁の方が安いとされており
その理由は縫うスピードにあります。
実際にサンプルを縫って頂いた工場さんに聞いたところ、型紙さえあれば2時間で着物も縫えてしまうそう。
しかし…
そのスピードと引き換えに失ってしまったのが
「寸法の正確さ」です。
スピードが早い分
寸法にズレが生じやすく
どうしても1cm未満のズレが生じてしまいました。
ここで、改めて和裁のすごさに気づかされます。
ただ、刺繍レースというという生地の特性上
手縫いでは大変縫いにくい生地。
和裁のやり方で
かつ「ミシン」を使った縫製が必要でした。
そこでまた奇跡が!
実はそんな和裁の縫製工場が北陸にあったのです!!!
着物を着る和裁士さん
和裁ということで
当初仕立て先候補から外していたのですが
調べて早速電話をかけて
レース着物の縫製の話をし
すぐお会いする日を決めました。
女性社長が直接お話しして下さったのですが
それがなんと着物姿でした。
「そんなの当たり前じゃない」
と思われるかもしれませんが
着物業界では残念ながら
着物を着ている和裁士さんに
お会いした事がほとんどありません。
その方の言葉にもありましたが
「着物を着る和裁士じゃないと本当に着物の事なんて分からない」
ここにしようと
仕立ててもらう前から決めました。
そしてようやくレース着物は完成します。
レース着物が完成して…
様々な出会いを通じて
ようやくレース着物が完成しました!
きっかけを下さったtontonさんを始め
メーカーさんや縫製工場さん
そしてYouTubeで応援して下さった皆さん
本当にありがとうございます!
いつかこの感謝を直接お伝えしたいと心から思っております。
福井県という田舎の小さな普通の呉服屋ですが
今回のレースの着物プロジェクトを通して
改めて自分たちがいる北陸のすごさを知りました。
昔から言われている事ではありましたが
北陸は本当に「繊維王国」でした。
「生地」「染色」「縫製」
なんでもあるそんな場所で
呉服屋をさせてもらえている事に感謝し
これからも着物がもっと楽しくなる
そんなものづくりをしていきます。
なぜ田舎の呉服屋が普段着の着物?
それは「着物が面白いかも」と思った着物が
普段着の着物だったからです。
きっかけは最初に勤めた会社の店頭に置かれていた
七緒で取材されていた「銘仙」です。
アンティーク着物としても人気の高い「銘仙」
その着物の可愛さに惹かれた事が
はじまりと言えます。
そして福井に戻り
実家の呉服屋で働いて感じました。
田舎の呉服屋は右も左も
前も後ろもフォーマルの着物ばかり。
普段着の着物を知るきっかけが
田舎には皆無。
今でこそYouTubeなどSNSがありますが
当時は本ぐらいしかありませんでした。
そんな中でこれではダメだと思ったし
やっぱり木綿の着物の可愛さを
福井の人にも知ってもらいたいと
心から思いました。
何より知ってもらうための活動が
楽しいと思えたから
今のもたはんがあると言えます。
普段着の着物を着る人の絶対数は
それはそれは少ないですが
もたはんから普段着の着物の
面白さを広めていきたい。
そう思っているので
福井の真ん中で普段着着物を扱っています。